河合顔トリビュートを振り返り(+個人的昔話)

 コンベンションでゲリラ的に行われた河合顔トリビュート企画は、最終的に40点近く、参加者数にして15名以上も集まり、雑談のネタとして十分に機能していたみたい。企画発案者の一人としてとても楽しみました。乗ってくれた参加者の人たちと、いろいろと下準備してくれた宮島さんに感謝を。


 で、なんでこんな企画が持ち上がったのかという話をコンベンション前にここで書こうと思ってたら、なぜか核心部分を思い出せなくて書けなくていた。当然のように、展示中に人が集まって眺めている際にそのことを質問されて、そしたらその時突然思い出せたので、改めてメモっておく。


 コンベンションの前の週末に、準備に集まった人が夕食へと居酒屋に流れ、その席での話。確か、創作家から受けた影響の系譜、みたいなことを話しているときに、ぼくが「北條さんが、桃谷さんじゃなくて河合さんにハマっていたら、どんな作風になっていただろう?」と発言し、そこから河合さんの話に。河合さんって言ったら「面」だよね、と。
 その場で河合さんの「涙の面」を折って、これを子供時代初めて見た時のインパクトがどうのこうの、と語っている内に、折られた「涙の面」は何人かの間を行き来して改造を施されていったのだった。ひとつ改造が加わるごとに大笑い。結局、原型をとどめないほどに改造を受けた代物が、おりがみ新世代の旧「河合板」に貼られていたアレだ。
 そんな中から、折り紙作家のトリビュート企画をする場合、河合さんなら「河合顔」さえ折ればできるよね、みたいな話になり、ぼくがパンダに付けてみたり、宮島さんが死神の頭部を折り変えてみたりと実際にやってみたら、これは実に面白いと。「(見た目だけ)無限折り河合顔」も、このとき絵で描いてみたネタだった。それで勢い「コンベンションで裏企画として展示しちゃおう」ということになった‥‥というのが発端だった。


 さて、展示場所では、前述したとおり結構ウケていたと思う。ただ、ぼくがちょっと意外だったのは、(目にした限りのことと但し書きをつけた上でだけど)、思っていたより「河合顔」が折り紙的アイコンとして認識されていないような感触を受けたことだ。
 まあ「河合顔」なんてタームは、件の席上で何となく使われたもので、決して(折り紙界で)一般的な用語じゃないと思うけど、「河合さんと言ったらあの面の造形」という共通認識は折り紙愛好家にはなじみのものだと全く疑ってなかっただけに、あれ?とは思った。もっと言うと、ぼくが折った作品でフィーチャーしてみた「河合さんが折る動物の脚の特徴的な角度」に至っては、ほとんどの人がこちらからばらさないと気づいてもらえなかった。


 というか、参加した若手の中には河合顔を初めて折った人もいたくらいで、考えてみると、河合さんの著作に親しんだ世代としては、ぼくと同じくらいの折り紙体験が下限に近いのかもしれないと気づき、時の移り変わりに思わずくらっと来てしまった。
 このエントリを書くにあたって、JOASサイト内の折紙関連書籍(日本)リストや、Amazonの検索結果を見てみたのだが、ぼくが読み込んだ『おりがみ歳時記』以降、河合作品をメインとした作品集が出てなさそうなことを知り、ここでも軽くショックを覚えた。
 ぼくが小学生低学年の頃は、本屋や図書館に行けば吉澤・高濱・河合・笠原で大体占められていたものだったのになあ。『をる2号』さえ絶版となって久しいわけで、なかなか河合さんの仕事に触れる機会も少なくなってきているのだろうか*1


 小学生ならではの世界の狭さに由来する偏りから、読み込んだのは『おりがみ歳時記』と、主婦と生活社から出ていた『折り紙全書』くらいで、多くの人の入り口となったであろうカラーブックスシリーズはあまり、というかほとんど読んでなかったりするんだけど、それでも『ビバ!』に出会うまで、河合折り紙はぼくの中でとても大きい存在だったと言える。当時作っていた似非創作作品なんかも河合節全開で、しかも和紙を使っていたりした。
 吉澤折り紙を「空気のように」受け止めながら*2折り紙にはまっていったぼくだったが、河合作品に出会ったとき、その過激と言っても良いくらいのデザインセンスが物凄く新鮮でカッコイイものに見えたことを覚えている。ハサミの多用に多少がっくりとはしたけれども(笑)、吉澤さんの本に掲載されていた題材が概ね動物ばかりだったのに対して、河合さんは「十二神将」(参照:Wikipedia)とか、何だか知らないけど子供心をつかむような題材を折っていたことも痺れた原因だったと思う。


 随分と称える調子になってしまったが、吉澤さん・河合さんらの作る動物作品がほとんど複合だったことにはずっとフラストレーションを抱えていて、そこにビバ!が来ることになる。ぼくにとってのビバ!ショックというのは、悪魔よりも、「きつね」などの動物が、1枚折りで従来の複合と同じ造形ということが衝撃としては大きかったと思う(悪魔は理解の範囲を超えていたとも言う)。この辺の感覚も、今や共有しにくいのだろうか。


 最後になって話が河合さんからそれてしまったけれども、今回、作品が次々に増えていく様子を見て、やっぱり「河合顔」の力はすごい、と改めて思ったし、久々に折ってとても楽しかったな。

*1:まだ『をる10号』があるか

*2:折紙三昧での西川さんの表現を拝借