なぜ蛇腹人物か

宮島さんに失望されてしまったみたい。他にも、英語のフォーラムでJaredさんという方が「なんで小松は蛇腹のダークサイドに行ってしまったのか」みたいなことを書き込んでたのをさっき見てしまった……。
というわけで、なぜ蛇腹に転向(笑)したのかを書いておきたい。


実は高校生の頃は、蛇腹(16等分くらいだったけど)で昆虫とかは折っていた。それが次第に嫌いになっていって、それは公言もしていた。その理由は主に2つあり、ひとつには最初の折り筋付けが面倒だということ、もうひとつは構造的に安易だと思っていたこと。
前者は今でも変わらないけど、32等分くらいならそれほど億劫には思わなくなったかも。要は慣れの話だった。後者については、思い違いだった。安易か安易でないかということと蛇腹であることには関連は無い。22.5度だって安易なのはいくらでもある。蛇腹でも緻密に構成することは可能だし、ぼくもいつかはそういう作品を作ってみたいと思ってやっている。

個人的に「蛇腹=ダークサイド」みたいな思い込みは、端的に言えば龍神によって砕かれたのだと、振り返って思う。ver.2.0はまだ悪い意味での「蛇腹臭さ」があって、すごいと思いつつもまだ冷めた感情で見ることができていたけど、ver.3.5で完全にとどめを刺された。ああやって鱗を折ればどうなるかなんてことは頭の中では想像していたわけだけど、それが全く実物に届いていなかったことに衝撃を覚えた。折り紙が本当に造形で勝負するとき、構造が22.5度だとか蛇腹とかはどうでもいい境地になるのだと分かったわけだ(もっとも龍神は構造的にも面白かったりするのだが)。


今までに何度か書いたことがあると思うけど、ぼくは折り紙*1の造形的な価値をそれほど大きく見てこなかったし、基本的には今後もそうだと思う。技術的に言えば、自由に曲線が引けない、完全な立体が作れない、というところが限界となっていて、結果として折り紙はそういった部分が欠落した独特に歪んだ造形世界となる。誤解を恐れず書けば、その独特さを一種の幼稚さと言ってもいい。
本当に造形が目的なら、彫塑やイラストなどをやればいいわけで、わざわざ不自由な折り紙を選ぶ必要はない。だからわざわざ折り紙を選んでいるぼくたちは、造形以外の何かに強く惹かれているはずだと考えた。そうして「工程」をクローズアップしようと思ったのが、この10年くらいのぼくの中心的なテーマとなった。

また、これも以前書いたかもしれないが、ぼく自身がガチに造形することに対して恐怖感を持っているということも根底にあった。言い換えれば、だからこそ不自由な折り紙に惹かれたわけだ。自由度の高い表現方法の場合、できた作品は、まさしく自分自身の力量の反映となる。逆に制約があるなら、必然や非意図や偶然や限界などの諸々が、表現者の自己をむき出しにさせない役割をしてくれる。
ぼくは趣味でイラストも描いたりするが、大体友人に見せるくらいで留まって、描いた絵をウェブで公開しようとかはあまり思わない。それは、自分が大して巧くないことを知っているから。大体、絵なんてものは、描いた瞬間は巧く描けた!と思っても、何日か経って見直したときには絶望的な気分になるものだ(巧い人でもそうだと聞く)。それがつまり絵の持つ自由とそれに伴う責任に他ならない。そして下手な絵を人に見られるほど辛いことは無い(折り紙でさえ昔の作品が恥ずかしくなったりするのに!)。
つまるところ、頭の中にはっきりイメージがあって、それを実現するだけの十分な技術を持っている天才の場合には、自由度の高い表現形式でなれけばいけないが、凡才にとってはそんなものは重荷になるだけということ。ぼくの作品が仕上げ過程を省く方向に向かった理由もこういうところにある(無論これだけじゃないけど)。

当然、折り紙の中でも仕上げしまくるとか解像度を上げたりすればするほど造形的な自由度は増し、ぼく自身の中でのハードルもぐんぐん上がっていく。蛇腹の等分が上がるのもそうで、実際去年作った「ボディビルダー」もコンベンションの展示の時点で恥ずかしくてしょうがなかった。


じゃあ、なぜそんな手法をやることにしたのか。
まあ、一言で言えば「挑戦してみよう」と思ったから、ということでしかないのだが、いくつかに細かく分けると次の3つになるだろうか。
まずは、22.5度に感じていたマンネリ感が強くなってきたこと。折っているうちに「またこの構造か」と思うことが多くなってきていて、そろそろ毛色の違うことがやりたくなった。
そして、「折らない鑑賞者」にも通用するような作品を作ってみたくなったこと。さっき、折り紙造形には限界があると書いたけど、神谷・北條・ジョワゼル作品に対しての一般の反応を見て、完成度次第では活路はあるかもしれないと思い直してきた。ぼくにとって、これは今まで逃げてきたものに立ち向かうという意味で大きいチャレンジだと思っている。納得いくものができるかは分からないが。
理由の最後は、若い人たちがこぞってアニメキャラを折り始めていたという状況があったこと。思ったのは、これはかつての「昆虫戦争」みたいなものだな、ということだった。蛇腹設計法の発展が進み、実践のためのテーマとしてアニメキャラが選ばれたのだと。そう見ればフィギュアのような折り紙という明らかに困難な問題設定も(オタクじゃない人にも)納得がいくものであるのではないか。そういう活発にアイデアが飛び交う状況は単純にわくわくするもので、ぜひそこに絡んでみたいと思ったのだった。


随分ごちゃごちゃしてしまったけど、こんな感じかなあ。
別にずっと蛇腹ばっかりやるつもりもない。22.5度も15度ももちろんこれからも作っていきたいと思っているし、題材についてもまだまだ折りたい動物がたくさんある。せっかくだからいろいろなことをやってみたいと思っている。

*1:正確には普通に何かの対象を折る折り紙