『小松英夫作品集』について

すでにアンケートに40人以上の方々に回答いただいている。フリーメッセージ欄ではありがたい感想が並んで、嬉しくもモジモジとしてしまう(褒められ慣れない性格)。


せっかくなので、作品集関連のネタで眠らせたままになっているものを少し出してってみよう。

作品集の制作中に考えていたのは、変な言葉かもしれないが「どうやって作品を延命させられるか」ということだった。というのは、結果的に7年もの長い制作期間となってしまったことで、「作品の『新しさ』ではもう勝負できないな」と思ったからだ。
若い人や最近入ってきた人は感覚的に理解できないと思うけど、「馬」を創作した1999年当時、この作品の「22.5度オンリーの基本形がほぼ完成形状になっている」というスタイルは結構新しかったのですね、自分で言うのもなんだけど。もちろん、これはぼくが一人でゼロから生み出したものではなく、それまでにあった作品群*1に影響を受けているし、同時期に同じような新しさを持った作品を創作し始めた人もいた*2。それが後年「小松スタイル」として他の人に認識されるまでになったのは、ぼくの取り組みが、ある種の「典型」を幸運にも提示できたからかな、と思っている。

話が少し逸れた。ただしこういった「新しさ」というのは、技術的な側面を持っているわけなので、当然ながらいつかは失われ珍しい物ではなくなる。技術的要素に大きく依存した作品であればあるほど、「古びて」しまう。というようなことを、実は「馬」創作当時からすでに考えていた。90年代の新設計法による折り紙表現の大進化や目黒さんの折り紙設計プログラムなどを、リアルタイムから少し遅れてではあるが見てきていたので、「今の自分は、大部分試行錯誤でこの作品を作ったが、いつかはこういった構造もプログラムで探索できるようになったりして、大勢が普通に使うようになるだろう」という予想は自然なものだったのだ。そうなったら、単にこのスタイルであるだけでは全くアピールにならなくなるのだろうな、と。
ちなみに、「馬」創作当時にした予想は、5年はなんとか大丈夫、10年は難しいだろうというものだった。この予想はその後2000年代前半に起こった蛇腹創作の隆盛によって(才能がそっちに流れたので)少し伸びたが、それでも2005〜7年くらいには勝田恭平・宮本宙也・神谷亮といった「新世代」の若手創作家は何てことなく作品に取り入れるようになっていったので、まあ遠からずといったところか。現在は使い手もたくさんいて大分ありふれたものになっている。

もし作品集を2008年あたりまでに出せたなら、「新味のある折り紙のスタイル」をウリにした本としても成立したかもしれないが、結局その路線はあり得なくなってしまった。折り線構造的なスタイルだけではアピールにならない、他の要素も含めてアピールするしかない。そこにぴったりとハマったのが、以前から関心のあった「折り工程」そして「折り図表現」といった要素だったわけだ。いつも自虐的に地味地味言っているとおり、自分は造形面では他の優れた人達とは根本的に勝負できないと思っているので、こうなるのは半ば既定路線だったのかもしれない。この方向性を洗練させることによって「目新しさ」ではなく、永続的な・反復可能な「心地よさ」を作品に持たせる魅力とする、というのが辿り着いた結論だった。だから、作品集の前書きで「本書の作品たちが長く皆さんの指の楽しみとなれることを願っています」と書いたのは偽らざる本心だ。
それが本当に成功したのかは、もう少し時間が経ってみないと分からないけれど、取るべき選択としては間違っていなかったはず。その影響として、制作の現場では関係者に大きなご迷惑をおかけしたが、書籍としての完成度という形で少しなりとも報いられていればと思う。ぼく自身も、折りに触れてこの本の作品たちを折り返して確かめていきたい。

*1:モントロールさんのDog base連作や、西川・川畑・吉野といった探偵団作家の作品など

*2:神谷さんのティラノとか