連続的変化と折り線トポロジー


ろいろいさんの1・2枚目やはちけんさんの構造みたいなのは個人的には「折り線構造の連続的変化」と「外周部が折り畳み可能なら内部まで折り畳み可能」の合わせ技で理解している……とツイートしたところ、daidaiさんに「もう少し丁寧な説明を」とリクエストされたこともあって、ろいろいさんの例を少し詳しく書いてみた。Twitterには画像で載せたが、以下に高画質なPDF版をアップした。
drive.google.com

「折り線構造の連続的変化」の例としては、川崎さんの折り鶴変形理論や、「ぐらい折り」などもそうだ。以前このブログで紹介した「ATCのためのサンタ」のように、全体のバランスが変化するようなものもある。
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こう考えると、ある折り線のネットワーク構成(トポロジー)があったときに、角度系や格子点系あるいはバイパス系に乗るようなものは一種の「特殊解」と捉えることができそうだ。実際は折り畳み可能なままにぐにゃぐにゃっと角度や長さを動かせたりするわけだ(制限はあるけれども)。
そしてもしかしたらその中に造形的に素晴らしいバランスのものがあるかもしれない。このことは、仕上げ折りをするときに「どうしてもぐらい折りじゃなきゃダメだ!」というようなケースを想像すれば理解しやすい。
特に22.5度系は神がかったバランスとは言え若干制限が強めだから、単純蛇腹が神谷パターンの発見によって格子点系に発展したように、部分的にでも11.25度系やバイパス系を取り入れて自由度を上げたスタイルを積極的に採用する人が今後増えていくような気がする。

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左はオリジナル、右が11.25度系に変形したもの
具体例があると面白いかなと、連続的変化を技法的に使って「おんどり」を11.25度系に改造してみた。オリヒメ上で展開図を平坦条件を満たすように折り線をいじっただけで、実際に折って作ったものではない(以下の例も同様)。
この例では見ての通り造形バランスはひどいものだが、もっと良い造形があるかもしれない。もっともシンプル作品では造形的な制限が見立ての強度になってくれるので、「おんどり」の折り線トポロジーにオリジナル(22.5度系)を超えるようなバランスが存在するかは疑問だ。
「おんどり」の例は変化としては単純なものだが、もっとコンプレックスな作品でも同様の操作で造形バランスの調整を行うことは可能だと思われる。円領域分子法で作った変則角の多い展開図を22.5度系にするなどの「洗練化」技法の逆方向のようでちょっと面白い。

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もう少し複雑な例として「リス」の改造もしてみた。左はオリジナル(『小松英夫作品集』版)、右が内部構造をバイパス系にして頂点数を減らしたもの。ほとんど見た目は変わらないが胸の毛が増してなかなか悪くなさそう。折ってみると、工程もほとんど変えずに折れてなかなか良い。尾の根元の上部分にちょっとフチがはみ出すのだけ惜しい。

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さらにいじった例。何かしら作図上の基準が欲しいので11.25度の変形から手をつけているが、バイパス的に繋げていくうちに混沌としてきてなんだかよく分からなくなってくる。


MT777さんの「#折紙設計の理論と応用_平成31年度版」でも実例が示されている多値的設計法というか面配置設計法に習って、リスの造形のコアを取り出すと次のようになる。
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この部分に注目してうまく変形していけばいいと分かってはいるものの、なかなかコントロールするのは難しい。ソフトを使っているとは言え変形してくのは手作業だからそのせいかもしれないし、単純に自分がまだ不慣れだからかもしれない。
後は、自分にとっての折り紙造形というものが22.5度系に親しみ過ぎていて、どういじっても違和感が凄い。
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というわけで今回のパターンから発想してオリジナルとは別の22.5度系の内部構造も作ってみた。尾の仕上げの内側でつぶす折りで少々厄介なことになるが、腹の部分のヒダが増えることで後ろ足の形状保持力が少しアップするようだ。ただし、折りやすい工程はすぐには見つからなさそうだった。


多値的自由角系の作風を先取りしていた作家というとやはり吉野一生さんだが、この手法で吉野作品みたいな作品が作れるかは微妙かもしれない。なぜなら、この手法では工程化不可能な展開図が大量にできてしまうことが予想され、試行錯誤で見つかるものとはちょっと違うとも思えるのだ。実際に折る試行錯誤だと、自然と折りやすい(というか「工程を伴う」)パターンにフィルタリングされるだろう。
あと、こうやって折り線トポロジーをいじっていると、確実に「用紙境界が正方形である意味は無いな」と思えてくる。主体はトポロジーであって、角度の縛りとして22.5度を選べば選択肢に正方形が入ってくるが、自由角なら自由角形が当然になってくる。
この辺も円領域分子法のころから分かっていたことだが、多値構造だとさらにタガが外れる感じだ。突き詰めていけば「カドなんて用紙境界にある原子そのもので作っちゃえばいいじゃないか」と「切り折り紙」的なものに接近していくだろう。
折り線トポロジーを所与の用紙形から生じるものとする見方と、折り線トポロジーがまずあってその変形によって用紙形が生じるとする見方は、折り紙観としてかなり違うかもしれない。同じ変則用紙でもティーバッグ折り紙は前者だし、折り鶴変形理論は後者寄りだ。
いじろうと思えばいくらでもいじれるし、どんどん「良い造形バランスとはなんだ」「22.5度ってやっぱりキレイダナー」みたいになってくるし、多値自由角系を覗いてみたらそこはなかなかに魔界のようだった。

(2019/4/16, 19, 21のツイートに加筆修正)

折り図における立体図の表現:情報のコントロールということ

ぼくは折り図を精確な製図のつもりで描かなくて、イラストのようなつもりで描く。「厚みの無い"幾何学的に正しい"図があって、それをずらす」というよりは、最初から「紙の重なりが分かる図」を目指して描く。その意味でも、最も影響を受けたのは笠原邦彦さんの折り図だ。
こういった考えなので、例えば図の拡大縮小なども特に縮尺率を決めていない。「見やすい大きさにする」というのが全てで、具体的な大きさは工程内容と図の全体像によって変化しうるものだと思っているので、数値入力じゃなくてドラッグで適当にやることもしばしばだ。縮尺の違う図の一部を移植する場合なども、目視で拡大縮小して合わせてしまう。「製図のつもりで描いていない」から、目で見て判別できないような数値の違いは考慮しないものと割り切っている。


折り図を描く上では、伝えなくてはいけない情報はなんなのか、その伝えたい情報を確実に伝えるためにどんな表現が適切なのかを考えることが重要だ(参考:折り図の「分かり易さ」を考える - fold/unfold)。動画や写真折り図は、一般的に折り図に比べて制作コストが低いとされているが、この情報のコントロールを納得いくまでやろうとするとむしろ大変で、逆に「描いた方が早い」となる局面が多いんじゃないかなあ、と思ったりもする。もちろん立体的な仕上げ加工など、写真の方が欲しい情報を表現しやすい工程もある。だから作品によっては写真と図のハイブリッドが適している場合もあり、佐藤ローズの本などは良い例だろう。
余談になるが、情報のコントロールということを意識するようになった切っ掛けは、20代前半にアニメ雑誌で読んだ押井監督や庵野監督のインタビューで触れられていたことからだったりする。創作におけるシルエット重視も有名アニメーターたちに感化されたところが大きくて、アニメ経由で受けた影響は多大だ。元を辿れば他の芸術分野にオリジンがあるのだろうけど、アニメの分野にアレンジされている考え方は自分にとって折り紙にスッと適用できる感じがあった。制限を抱えた表現様式という共通点があるからだと勝手に思っている。

ぼくがやっている立体図の描き方も、実はアニメからヒントを得たものだ。最初のうちは立体図を表現するのにグラデーション機能を使っていたのだけれど、なかなか思うように使いこなせなくて悩んでいた。そこで取り入れたのがいわゆる「アニメ塗り」の手法(参考:Wikipedia)で、要するにくっきりした線の影でも適切に入れれば十分な立体感が得られるということ。グラデーションを使うよりもデータが扱いやすいし互換面でも安心できるメリットがある。
『小松英夫作品集』では2段階の影を入れたり(例:ひつじ)、さらにハイライトを加えた図もある(例:みみずく)。

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ひつじの折り図より
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みみずくの折り図より
尤も"適切に入れる"のが難しくて、見返すともっとうまく描けたのでは……というのが多い。関西コンベンション折り図集に載った「指食いラフレシア」はほぼ1段影だけどうまく行った気がする。
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指食いラフレシアの折り図より
こういった影の表現は、モノクロ原稿だと紙の表のグレーと紛らわしくなったりもするので、あまり濃い影を入れるのが怖くなって結局あまり変わらないじゃんというものになったりするのが難しいところ。去年のコンベンション折り図集の「いもむし改」も結構細かく影やハイライトを入れているけれど印刷されたのを見ると「うーん」という感じだった。
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いもむし改の折り図より
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ライオンの折り図より
例外的にグラデーションを使っているのは、「ライオン」のたてがみの図で、これは「なめらかな曲面であること」を情報として込めたかったからだ。
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お手軽なテクニックとしてお勧めしたいのは、谷になっている部分に上図のような形の影を重ねること。ただし様式化されていて必ずしもリアルな影のつけ方になってないので無計画に使うのは注意したい。
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使用例。ドラゴンの折り図より
これは透過機能などは使っておらず、ベタ塗りのオブジェクトを重ねてるだけ。フチを突っ切る影などはクリップを使うとか、最悪フチの線だけさらに上から重ねるなどすれば単純な設定のオブジェクトの組み合わせだけでも結構なんとかなる。この辺は人それぞれだと思うが、個人的にはなるべくシンプルな機能で描いた方がファイルの書き出しや環境移行などでトラブルが少なくなるかなと思う。

情報のコントロールということに立ち戻れば、立体図で欲しいのは「手元にある紙の立体情報」なので、何が何でも作図で表現しないといけないわけでもない。「◯のところが凹んでいる」のように、記号や文字情報で補足することもできる。必要な情報さえ読み取れれば実現する方法はいろいろあって、それが折り図表現の面白く、奥の深いところでもあるだろう。

(2019/2/27-3/2のツイートを再構成・加筆)

パーツ構造・パーツデザインの借用について

他人が考えたパーツを使うことについて、使っていいのか悪いのかの判断って結構微妙な問題で、特に過去の創作折り紙の世界だとある程度みんな顔見知りみたいな感じだったからまだ良かったけれど、創作家がさらに増えていく今後は「よく知らんやつに勝手に使われた!」となるケースも起きてくるかもしれない。
自分の創作においては、なるべくそのままの借用は避けるようにしているし、なるべく自分で新規パーツを開発したい、と思ってやってきた。しかし確認し切れない作品数が生まれている現在では、先例を把握し切るのは困難で、知らず知らず再発明をすることもあるかと思う。
それでも折り紙創作の歴史は多くの人の発見や応用の積み重ねであり、最新の知識や解釈で再発見をするのはやはり最初にそれを試みた人よりは容易なはずで、だからこそ先例には敬意を払いたい。


この話が難しいのは、パーツとして全てを一緒くたに判断することはできなくて、構造の独自性だったり、見立てとの関連だったり、歴史的な解釈だったり、作者の思い入れだったり、いろんな要素が絡んでくる。パーツ自体を1つの作品として発表することもある。
その上で、あるパーツに開発者の独占権のようなものを認めるべきか否か(つまり、勝手に使ったらまずそう/勝手に使っても問題なさそう)に創作家間での共通認識がふわっと立ち上がるようなものじゃないかと思う。明確なケースもあれば、人によって感覚が大きく違うケースもありそうだ。

マナーに関係するものでもあるので、直接許諾は得ないけど作品紹介のときに言及するという運用もあると思う。それも一般の人相手と折り紙者相手では前提知識が違うし、折り紙者同士なら暗黙の了解という場合も多々あるだろう。
例えば30年前は前川さんの5本指を使うときに「前川さんからの借り物」という意識がもっとあったはず。でも現在において使うのに躊躇する人はいないし、その際に前川さんに伺いを立てる人はいない。
それは時代を経て、ごく少数の分子の組み合わせにはそこまで強い創作性は生じなくて誰もが自由に使えるもの、というような合意が何となくできているからだろう。
逆に、吉野虎の頭部のような作品の核となる構造・見立てを持つパーツをそのまま使うのは今でも躊躇する人が多いのではないか。昔、北條さんが人物作品の装飾として使ったことがあるけれど、これは北條さんと吉野さんの仲があってこそだろう。

分かり易いのは、最初に考えた人が「これ汎用パーツなのでみんなも使って」と言っている場合。自分が「少女J」で使ったフィギュア顔もそういう位置づけで、実際いろんな人が使ってくれていて発展形も見せてもらえているのは嬉しい限りだ。しかしそれもぼくにとって蛇腹人物がサブの取り組みであるからでもある。思い入れがもっと強かったら、他人に使われたら嫌だなと思ったかもしれない。でもそういう思い入れがすべて権利で守られるべきものとも限らない。……とぼんやりした議論のままとりあえず終わる。

過去の折り紙界は、個別のトラブルなどはあっただろうが、総体として「創作折り紙が発展するようにいろいろな権利を設定・調整してきた」と言えるように思う(著作権法で言う「もって文化の発展に寄与」というのとダブる)。今後もそれがうまく回っていくことを願いたい、と結論めいたものを付け足す。

(2019/3/12のツイートに加筆修正)

無許諾折り方動画と、折り図で作品発表するということ


YouTubeに代表される動画サイトにおいて"創作者の許可なく"公開されている折り方動画(チュートリアル動画)については、いつか何かしら触れなければならないなあと胸の片隅にあった。
自分の作品も無断チュートリアル動画があって、何かの拍子に見かけると良い気分にならないから、YouTubeの折り紙関連動画を自分から検索して探すことをあまりしなくなってしまっていた。


小松本の前書きにも書いたことだが、自分は折り図という伝達手段に愛着があり、意図をもって選択している。折り図を通して折り手と繋がることが、ぼくの折り紙活動の理想型と思っている。対面コミュニケーションであるリアル講習には苦手意識があるし、本というメディアを介すくらいが距離感として丁度良いのだ。
動画もメディアを介してはいるけど、折り図よりは生身の自分が出てしまうので乗り気になれない。アトピー持ちだから自分の手を映すことにためらいがある(仮に自分がチュートリアル動画を作るとしたらアニメーションでやってみたい笑)。


現状ある無断動画については、コンプレックス系に限って言えばその多くが海外ユーザがやっているようで英語が苦手な自分にはやり取りのコストが大きいため、これまで特にアクションを起こしてこなかった。そもそも著作権で制限できるのか法的解釈の問題もあり、実際創作者がYouTubeに申告しても受理されなかった事例を話に聞いている。(個人的には「折り紙作品の再現=複製」説を取るので、チュートリアルも複製権・翻案権に抵触するはずだと考えている。これはおそらくJOASもそのような見解だと思う。いずれにせよ、創作者の成果に対するフリーライド行為には違いない)


ぼくが折り図で折り手と繋がりたいというのは、突き詰めればぼくのワガママであるから、「動画の方が分かりやすいから動画を出してほしい」「直接教えてほしい」という折り手側の声があるとしたら、それもまたもっともなことだとは思う。実際問題そういう需要があるからチュートリアル動画が(創作者自身が公開・公認している正規版も含め)多くアップされているのだろうし、有澤さんも書いているが無料で見られる動画が新規愛好家の参入やスキルアップに寄与している側面もある。
そんな中で動画を選択しない立場を取る以上「チュートリアル動画より作者の折り図で折りたい」「折り図の方が分かりやすい」と折り手に思ってもらえるものを出さねばということを意識してきた。ぼくにとって動画は(加えるなら写真折り図や展開図も)「良きライバル」みたいなものだ。少なくともぼくの描く折り図には、単にその作品の折り方を示す以上の意味と期待が込められていて、折り図を通してしか得られない体験・時間があるはずだということを信じている。幼少の頃、折り紙本をひらくとずらりと並ぶ図に胸が躍った、それが今の活動に至る原体験なのだと思う。
おそらくは、動画で育って動画を好む愛好家が今後増加していくのは間違いない潮流だろうし、折り図や物理本への愛着もアナクロニズムになっていくのかもしれないが…。


なんだか無断動画の是非というより折り図vs動画というような話になってしまったが、動画で発表している作家の方とて作品を無断使用されることもあるだろうし、オリジナルソースへの導線がユーザーに伝わりにくいのは折り図でも動画でも同様だろう。折り紙の世界だけでなく、一般の人にとっても、「折り紙作品には作者がいて、作者自らが発信/公認した情報が何より優先して流通されるべきだ」という認識が広まっていってほしい。

(2019/2/23のツイートに加筆・修正)