パーツ構造・パーツデザインの借用について

他人が考えたパーツを使うことについて、使っていいのか悪いのかの判断って結構微妙な問題で、特に過去の創作折り紙の世界だとある程度みんな顔見知りみたいな感じだったからまだ良かったけれど、創作家がさらに増えていく今後は「よく知らんやつに勝手に使われた!」となるケースも起きてくるかもしれない。
自分の創作においては、なるべくそのままの借用は避けるようにしているし、なるべく自分で新規パーツを開発したい、と思ってやってきた。しかし確認し切れない作品数が生まれている現在では、先例を把握し切るのは困難で、知らず知らず再発明をすることもあるかと思う。
それでも折り紙創作の歴史は多くの人の発見や応用の積み重ねであり、最新の知識や解釈で再発見をするのはやはり最初にそれを試みた人よりは容易なはずで、だからこそ先例には敬意を払いたい。


この話が難しいのは、パーツとして全てを一緒くたに判断することはできなくて、構造の独自性だったり、見立てとの関連だったり、歴史的な解釈だったり、作者の思い入れだったり、いろんな要素が絡んでくる。パーツ自体を1つの作品として発表することもある。
その上で、あるパーツに開発者の独占権のようなものを認めるべきか否か(つまり、勝手に使ったらまずそう/勝手に使っても問題なさそう)に創作家間での共通認識がふわっと立ち上がるようなものじゃないかと思う。明確なケースもあれば、人によって感覚が大きく違うケースもありそうだ。

マナーに関係するものでもあるので、直接許諾は得ないけど作品紹介のときに言及するという運用もあると思う。それも一般の人相手と折り紙者相手では前提知識が違うし、折り紙者同士なら暗黙の了解という場合も多々あるだろう。
例えば30年前は前川さんの5本指を使うときに「前川さんからの借り物」という意識がもっとあったはず。でも現在において使うのに躊躇する人はいないし、その際に前川さんに伺いを立てる人はいない。
それは時代を経て、ごく少数の分子の組み合わせにはそこまで強い創作性は生じなくて誰もが自由に使えるもの、というような合意が何となくできているからだろう。
逆に、吉野虎の頭部のような作品の核となる構造・見立てを持つパーツをそのまま使うのは今でも躊躇する人が多いのではないか。昔、北條さんが人物作品の装飾として使ったことがあるけれど、これは北條さんと吉野さんの仲があってこそだろう。

分かり易いのは、最初に考えた人が「これ汎用パーツなのでみんなも使って」と言っている場合。自分が「少女J」で使ったフィギュア顔もそういう位置づけで、実際いろんな人が使ってくれていて発展形も見せてもらえているのは嬉しい限りだ。しかしそれもぼくにとって蛇腹人物がサブの取り組みであるからでもある。思い入れがもっと強かったら、他人に使われたら嫌だなと思ったかもしれない。でもそういう思い入れがすべて権利で守られるべきものとも限らない。……とぼんやりした議論のままとりあえず終わる。

過去の折り紙界は、個別のトラブルなどはあっただろうが、総体として「創作折り紙が発展するようにいろいろな権利を設定・調整してきた」と言えるように思う(著作権法で言う「もって文化の発展に寄与」というのとダブる)。今後もそれがうまく回っていくことを願いたい、と結論めいたものを付け足す。

(2019/3/12のツイートに加筆修正)