ゆびあそび―折り紙―視線

 今日の写真は、指でカエルの顔を作るという遊び、なのだが、おそらく各小学校で間歇的に流行る類の遊びではないだろうか。このカエルと二人で作る河童の顔(ひとりが片手で頭/髪を作る)が有名どころじゃないかと思う。この遊びを一般的に何と呼称するのか知らないので、ネットに関連情報があるかどうかも分からない。

 ぼくは小学3〜4年生ごろ、この遊びにめちゃくちゃはまっていたのだった。授業中とかにもやっていて、先生に注意されたことも一度や二度のことではない。この遊びをあまりにやりすぎたために薬指が変な向きに曲がってしまって、未だに曲がったままだったりするくらい(笑)。
 すでにあったパターンだけではなく、自分で「創作」もした。絡め方を変えればもちろん、指の肉の微妙な巻き込み具合でさえ「表情」が変わるのだ――そう、見立てはすべて何らかの「顔」だった。そしてその顔たちに適当な名前をつけていたりもした。


 なんの話かと言うと、「ぼくの問題系から――キャラクター性」(8/10)で書いたことに関連している。ふと、このゆびあそびが、ぼくがこういったキャラクター性というようなものに惹かれるということを示すサンプルとして使えるかもしれないと思ったわけだ。

 同じ頃、鶴の基本形から面を折ることにも夢中になっていて、一時期には休み時間ごとに新しい顔ができていたくらいだったと思う。
 自分の指先やただの紙切れが、奇妙な他者としての視線を形作り、ぼくを見つめかえす。ぼくはそこから何を読み取っていたのだろう。今自分でふり返りつつ、これほどまで「顔」の見立てにとりつかれている小学生というのは少々情緒的に大丈夫なのかいな?という気がしないでもない。発達心理学とか知識はないので詳しくは分からないけど。


 折り紙やっている人で、この「ゆびあそび」で遊んだ人は他にいるだろうか?