折り工程

固定しない形で利用された場合に、具体的にどのような問題が発生するのか、もしよろしければ教えていただけないでしょうか。
(折山さん)

 例えばですけど、講習会で(折り図を使わないで)教えるときに、自分が考えたのではない折り工程を、自分が考えたものとして紹介するとか。(そんなことをする人はほとんどいないとは思いますけども。うーん我ながら変なことを考えているなあ。)


 ぼくが折り工程にこだわるのには、自分自身が興味を持っているからというのが大きいので、その思い入れを差し引いて考えた方がいいだろうなとは思っています‥‥。
 ただ実際問題、折り工程を整理するのは一仕事です。個人的には図を描く作業よりずっと大変だと思います。遠い将来には、折り工程を考える専門の人というのが出てくるかもしれないとまで思ってます。

そういう感動的な折り工程ばかりをつなぎ合わせた、折り工程がものすごく面白い(けど最終形はたいしたことない)ような折紙作品も、折ってみたいような気がします。

 これを読んでふと思い出したのですが、笠原さんの『ジョイ・オブ・オリガミ』で紹介されている、John Smithさん(作者はジャン=ジェローム・カサロンガさんという方だそうです。羽鳥さんのコメント情報より)の四季を表現した作品があります。一枚のおりがみを全く折らずにゆらしたり裏返したりして四季を表現するというものです。
 ある意味「工程」しかない‥‥というか「折り」工程すらないわけで、笠原さんも文中では「作品(?)」と書かれていたり、まさにどう判断していいやらというケースですね。