法律か規範か

 いまいち自分の中で整理し切れてないというか、ぐるぐる回っていたりする部分なのですが、ともあれ書いてみます。

 法律と規範のどちらを重視するか、というのがそもそも問題としてあるように思います。「違法ではないから何をしてもよい」、「合法だとしてもやるべきではない」のどちらに寄って立つのかという。もちろん最終的な判断は法によるのだろうけれども、法も人が作るものなので完全ではないというループがあります。
 折山さんも書いているように、折り紙に合致するような法律を新たに作ることは現実的ではないでしょう。さらに言えば、折り紙をめぐって訴訟を起こすことも、現状を考える限り、現実的ではないように思えます。


 つまりここでは著作権法も抑止としてしか機能しないわけです。
 だとすると、もし折り紙界内部のみを対象に考えるならば、規範でも十分機能するのでは。熱心な折り紙愛好家の数というのはまだ多くなくて、そういう小さいコミュニティの中では相互監視的な力も働きやすく、規範の効力は結果的に高くなると思います。また、それなりに活動している人は遅かれ早かれ大勢に知られるところとなるので、問題が発生しても早期に対応できるという希望もあります。


 ぼくが以前id:origami:20050123#cで

大きな問題は、折り紙の現状をよく知らない人の偏見というか誤解をどう解除していくかというところにあるのではないでしょうか。
(小松)

と書いたのは、問題はむしろコミュニティの外部との間で起こるのではということで、龍神展開図の件もそういう文脈で取り上げたつもりでした。コミュニティ内部では、現状でもモラル意識はかなり高いレベルで形成されているのではないかという印象を個人的には持っています。

折紙独自の問題があるとしたら、「折り手の著作権意識の低さ」だと思います。
(折山さん)

 折山さんのこの発言は、折り紙コミュニティ(=熱心な愛好家)以外で折り紙を楽しんでいる人、極端な表現をすれば「折り紙=伝承」というようなイメージを持っている人を想定されているものとして読むとぼくも同意できます。そして、そう考えるならば、

当事者が、つまり創作者が、積極的に活動しない限り、いつまでたっても意識は低いままだと思います。
(折山さん)

ここで言う当事者は、創作家にとどまらず愛好家も含めた折り紙界とも言えるのではないでしょうか。


 しかし、規範というのは当然だけど唯一絶対のものではないし、人によって細かい部分で相違が生じるのは避けがたかったりします。目指すのは、なるべく多くの人が妥当と考える(「よりマシな」?)合意を見出すことであり、それによってトラブルが未然に、あるいは深刻化しないように努めることにあるでしょう。