折り工程における伏線の例

折紙探偵団』120号のクローズアップはコーナー初登場の前川さんだった。先だって、折り工程について書くつもりだとうかがってから、読むのを楽しみにしていた。
で、読んだ感想としては、全面的に同意というか、まるで自分が書いたみたいな内容だった(笑)。そうは言っても「手続き記憶と宣言的記憶」の話とかは、ぼくからは出てこないトピックで、さすがと思ったけど。


さて前川さんの記事に、「伏線による意外性」という話題があった。実際、折り工程に伏線をはりめぐらせるのは楽しい。今回は、ぼくの作品のなかでも気に入っている「伏線」を取り上げて解説を加えてみたい。作品は『折紙探偵団』99号に折り図掲載された「オオカミ」だ。


(オオカミ未折の人で、今後折る予定があって、その際にはまっさらな状態で折りたい、という人は、以下は読まない方がいいかもしれません。一応記事を畳んでおきます)


オオカミで張った伏線というのは32−33だ。この伏線が回収されるのはずーっと後、仕上げに入った104となる。

104では、胴体を段折りする山折り線はすでにそのままの折り目がついている。これが32−33でつけていた折り目だ。

32−33は直後の35−36を折るためにも使われている。普通に折っているときには「35−36を折るために32−33の折り筋をつけている」と折り手には理解されるだろう。もちろんそのためでもあるのだが、同時に「この折り筋は後で使うんだろうな」というように思われないための「目くらまし」として、こういう直後に置く配置にしてある。
実際に、104から発想したのだったと思う。104の段階であの位置を新たに山折りするのはちょっとストレスを感じる操作なので避けたいと考えた。もともと35−36は別の工程で折ろうと思っていたが、32−33のように折ることで両方ともまかなえることに気づいてこの工程に辿り着いた。前川さんも「天に祝福され」るようだと書いているけど、こういう工程を考え出したときは本当に痛快な気持ちになる。


ただし、今「伏線」と表現しているが、ほとんどの人は伏線の存在など気づかないまま作品を完成させているだろう。しかし、元々104で折りやすくすることが目的だったので、べつに「すでに折り目のついているところがどの工程で折られたかということ」を折り手側がいちいち考えて折る必要はない。折り手は、言ってみれば、気持ちよくだまされてもらえればいい。ほとんどはささやかな自己満足であり、こういうことに気づくような人へ向けたボーナス的なサービスだ。はたしてオオカミを折ってくれた人のうち、どれくらいの人が気づいたか、気になるところではあるけど。


折り手が混乱しすぎない範囲で、細かいネタをあちこちにちりばめる、ということを意識的にしようと心がけているのは、詰め込んだだけ作品の楽しみ方に幅ができることを期待してのことだ。今回のようなネタばらし的な解説をすることで、そのうち、ぼくが意図的に仕込んでないネタを折り手が勝手に見てとったりするようになると愉快だなあなんて思う。ぼく自身、人の作品を折る時に、作者の意図をどれだけ妄想できるかという楽しみ方をしたりする(真剣にやろうとすると疲労もともなうので、たまに、だけど)。
折り紙の楽しみ方は限りなくある。