「ぶた」造形の裏側など

「ぶた」ができてから数日間は眺めたり折り直したりしていた。このような作業によって、だんだん自分の中での位置づけが収まるべき場所に収まってくる。「これでいいのか?」から「こんなものだな」へ得心の過程とでも言うか。その間、考えたことをちょっと書き残しておく。




シンプル作品では、ディテールでアピールができない分アウトラインがより重要になってくる。近年は、アウトラインの持つ表現力ということをよく考えるようになった。シルエットだけでもなにか訴えかけるものがある造形ができればと思うのだけど、なかなかむつかしい。

ただ「ぶた」の造形はそのシンプルさのわりに、アウトラインの持つ情報は貧しくなっていない(と思う)。特にうまくいったと思っているのはお腹が少しでっぱったように見えるところだ。

この図は平面にしたときのシルエットで表れている角度(22.5度を1としている)を書き込んでみたものなのだけど、こう見ると、いろんな角度がまんべんなくしかも適度にばらついて現れていることが分かる。22.5度という制約があっても、造形が単純で味気なくなるのを防げている理由のひとつと言えるかもしれない。なんとなく。逆に22.5度のおかげである程度の調和があらかじめ確保できているという見方もできる。
前足と後足の角度を揃えなかったのは、前足を折り込むと紙の厚みでエッジ(折りフチ)が鈍るからというのが理由なのだけど、シルエット上でも軽いフックになっていて、錯視で前足の方がより短足に見える効果も生んでいるし、お腹の前方のラインがきれいに見える。
もちろん不満なところもある。具体的にはお尻のラインで、後ろの方から見ると立体感が完全に破綻している。これは胴体の原子と後ろ足の構成を優先させた結果として、しょうがないということにした。後ろ足は思いつく限りのパターンを検討した……つもり。




しかし当然ながら、アウトラインは造形要素の一部にすぎない。アウトラインの先には、折りフチが描く線画的イメージがある。さらには、層の上下関係、各面の空間的配置、それによって生じる影、折りフチの強弱*1、折り筋……なども考慮しなくてはいけない。ひとつの造形としてまとまりのある印象を持たせるためには、一言で言えばどうバランスをとるか。そうは言っても実際は上に列記したようないろんな要素が関わるのでそう簡単にはいかない。制約ある折り紙だから、全てがうまくはまるという事態は基本的には期待できなくて、何を活かして何を犠牲にするかの選択・判断は作家の個性やスタイルに直結している。というか、その判断の積み重ねが作家の個性を事後的に形成しているとも言え、こちらの方を強調してもいいかもしれない。コントロールできた要素を認識し、コントロールできなかった要素を(部分的にでも)受け入れて消化する。このためには、やはり洗練化・推敲の過程をどれだけ踏めるかが大切だという気がする。



さて、「ぶた」で造形的な基準となったのはずばり頭部の造形・見立てで、この折りからなにも引くことはできないし足すべきでもないというのがスタートラインとなった。つまりそれ以外の部位は基本的に頭部との関係において吟味される。
中でも特別なパーツはやっぱり耳だろう。この形は折り紙者にとって馴染み深い凧形基本形と同じ形で、見立ての面白みがその分上乗せされているようなものだ。大げさに言えば、この面白さが無ければ単なる印象の薄い造形にすぎないかもしれないこの作品が「折り紙作品」たりえるキモの部分じゃないかと考える。このように表面上の造形だけでなく折りの意味まで含めて判断するのは折り紙ならではの評価基準なのだけど、あまり全面に出しすぎると折り紙者にしか分からない造形になるという結果を招くおそれもあるので注意が必要かもしれない。「ぶた」はかなりギリギリの線に近いと自覚してる。
ともかく、この頭部のシンプルさに合わせて、胴体・足をいかに抑制して折ればいいか、というのが創作上で一番の課題だった。下手に折りを増やすと、ただでさえ線の少ない頭部の印象が薄れてしまって、それでは意味が無くなる。


結果としては、胴体に同じく凧形(耳とは違う横広な形とはいえ)がはまったことで、なかなか良いバランスを実現できた(のではないだろうか)。これも後付け的な分析ではあるけど、視覚的な印象として、全体の構成を明確にする効果を生んでいる(ように思える)。この2つの凧形以外にも、全体的に四角形の原子の印象が強いが、これが豚の重量感と結びついている(気がする)。なんか自信なさげに書いているけど。
さきほど、前足を折り込むか否かという話をしたが、この四角形が作る調和を壊さないためという理由もあった。これは折り込んだ図をみると一目瞭然だと思う。顔の端っこがちょびっと欠けただけで台無し感が漂っている。



最後まで迷ったのは尻尾の処理だった。今もすっきりとはしていない。展開図を折り上げたままの形では少し不自然な形であるのと、直線の印象が強すぎるかなと考えて、カールさせてみた。当然ながら、全体の中で少し目立つ格好になってしまう。頭部の印象を超えてしまうようだとまずい。難しいところだが、ひとつの落としどころとしてはアリではないかなと思うことにした。

気になる点と言えば、もう一つ、後ろ足が用紙カドということがある。前足が内部なので厚みのバランスがとれてない。通常の動物シリーズでは基本的には採用しないところなのだが、これくらいシンプルなモデルでは構成の素直さの方を優先していいかな、と思い許容することにした。もちろん、辺カド・内部カドからの折り出しを一通り試して比較検討してはいる。



改めて全体を造形作品として見直すと、自作品全般にも共通することだが、「地味だなあ」と思ってしまう。言い換えると、どうしても頭の片隅にリアリズムがあって大胆なデフォルメができず、無難なところに着地する傾向にある。元々あまり尖ったセンスの持ち主でもないので(造形的にも折り紙的にも)やっぱりどうにもひっかかりに欠けてしまっているようだ。それって造形として致命的ではというツッコミはもっともで、だから折るという行為まで含めて作品って言ってるんだってば。

(北條さんのケレン味の1割でもあればなあ…)

*1:強弱というのは、厚いところでエッジが甘くなるとかそういうこと