折りの楽しさと楽しまれ方

nhさんの先日の記事と、2年前の記事に触発されて「折りの楽しさ」について考えたことをひとくさり書く。



「折りの楽しさ」というと漠然としているので、2番目の記事でnhさんがhaptic(触覚の)という言葉を使っているのをヒントに、まずは「折りの楽しさ」を以下のように分けてみた。すなわち
・触感のレベル
・判断のレベル
触感はいわば「折りの心地よさ」で、判断は「折りの面白さ」か。大雑把に、前者は指の、後者は頭の領域と考える。

触感のレベルをさらに細かく考えると、「紙を触っているだけで心地よい」というプリミティブな感覚から、「ある技法に対して指がすっと動く楽しさ」のような無意識的な運動まで幅がありそうだ。前者を「折り紙におけるhaptic」の「紙」の面、後者を「折り」の面と見ても良い。もっとも「紙の種類」による違いが両方に関わっていることが考えられるので*1、そんなにばっさりと分かれるわけではないだろうけれど。


以上、3つにしか分けていないがとりあえずまとめると、
・折りの楽しさ
  a)心地よさ=触感レベル=指=運動
    a-1)紙の心地よさ
    a-2)折りの心地よさ
  b)折りの面白さ=判断レベル=頭=知識


例題として、改めてnhさんが挙げている例を見てみると、「ちょっと変わった構造なり紙の動かし方」というのは「b)折りの面白さ」の方に入り、「ジャバラの線付け」は「a-2)折りの心地よさ」に該当しそうだ。なので、ある程度区別して考えた方がいいかもしれない、などとこのように考えられる(だからどうしたとか言わない)。



さて、nhさんが2007年の記事で言っている「haptic=折り心地の良さ」も、内容から見て「a-2」を指していると思われる。慣れや、ある種の訓練を必要とするので、折り手の技量によって感じ方が異なってくるという意味で厄介なのだが、nhさんも折り紙の普及に絡めてそこを指摘している。

そういった「折り心地の良さ」というのを初心者でも同様に感じることが出来るのかは不明です。私の予想では多分無理だと思います。小松さんの作品を初心者が折っても「面白い」ではなく「難しい」と感じるでしょう。そこにhapticな折紙の致命的弱点を感じます。外への波及力のない、熟練者の内輪な喜びになってしまうのではないかと。外への普及には向かない気がします。

ぼくが自分の作品を「マニア向け」と言ったりするのはまさにこうした理由で、ある技術的ハードルを越えて「折りをhapticに楽しめる」段階に入った人をターゲットユーザとして想定していることを否定できないからだ。こういう人たちはまず折るスピードが早いし、同じ作品を何度も何度も折ったりする。作者として、その繰り返しに耐える作品や工程を作りたいという欲求は確かにある。

とは言っても、全く外への波及力がないとは思わなくて、そこを担当しうるのが先の分類での「判断レベル」ではないかなあと思っている。つまり「a-2」でなく「b」で勝負する。
問題としては、「判断レベル」では、指技という敷居は無関係にはなるが、今度は知識の差が影響してくる。「ちょっと変わった構造なり紙の動かし方」に気づいてそれを面白がるには、「よくあるタイプ」を知っていなくてはならない。しかし同時に、知識が無い方が新鮮に驚けるという別の面も存在する。*2



□初心者
  a-1)紙の心地よさ
  b)折りの面白さ ←新鮮さがメイン(+α)
□熟練者
  a-1)紙の心地よさ
  a-2)折りの心地よさ
  b)折りの面白さ ←経験のデータベースとの比較がメイン(+α)


…と今までの議論を整理してみたところ、こうではないタイプで楽しんでいる愛好者の勢力があることに気づいた。ひとつの作品を覚えるとそればかり折って、しかしレパートリーは少なく、技術や知識のレベルがそれほど高くないタイプだ。


  a-1)紙の心地よさ
  a-2)折りの心地よさ
つまりこういう組み合わせ。なるほど、「折りの心地よさ」のドラッグっぽいところというか、「折りの面白さ」を考えずともそれだけで楽しめる要素になるわけだ(「ジャバラの線付け」を思い出す)。たぶんこういう楽しみ方をする人は、数的にはもっとも大きい勢力じゃないかと思う。折り紙愛好家のライト層とでも呼べばいいのかな。

こう見ると、熟練者…というかマニアの要件がまず知識欲ということがよく分かるなあ。「折りの面白さ」に気づいて、それを経験として「折りの心地よさ」に繋げられると折り紙マニアが一丁できあがり。繋げられないと初心者のまま止まるか、挫折。「折りの面白さ」に注目しないまま、「折りの心地よさ」に辿り着くのがライト層。
どうだろう。



上の初心者/熟練者のまとめのところで+αと書いておいたのがそれだが、知識の多寡に左右されない種類の「面白さ」があるとしたら、どんなものだろうかというのを最後に考える。以前「折る過程の楽しさとして、魅力的でかつ意外な途中形が次々に現れては消えていく様子を見せるということをもっと強調できないだろうか」と書いたことがあるが、それに近いことを考えていた。ぼくが折り工程にこだわっているのは、この部分でいかに「折りの面白さ」に気づくきっかけを作れるかのチャレンジと言える。
もっとひろげて、「形ができていく/形を作り上げていく体験」というのがおそらく「折りの楽しさ」としてもっともリーチが長いんじゃないかな。まあそれはつまり折り紙そのものに近くて、そこに惹かれなければどうしようもない。
と、なんだか当たり前な結論に辿り着いてしまったところで終わる。

*1:ホイル紙で折ると勝手が違うとか

*2:この辺の、素人/玄人で評価が違ってくることについての問題は、折り紙に限らず他の表現分野でも見られるので、参考にできる議論がいろいろ見つけられそうだ