技法とか‥‥のつづき

 id:origami:20050308#p2のつづき。(11日朝にちょっと文章の細かい部分をいじりました)

 ちょうどというか、上のLondonOrigamiの折り図紹介作品であるHansonさんの「Red Nose」がハサミを使っていた。切り込みの使い方としては、割と(造形的に)違和感なく使えるパターンのひとつだろうか。切った部分と折った部分をある程度分けてしまうということで、解釈としては複合的といえなくもない(?)。
 cochaeさんの新作も技法のミックスというコンセプトのようでタイムリー‥‥というか結構皆さん自由にやっているのが現実という気もする。


 さて、北條さんご自身からコメントをいただき、ぼくのしている解釈も的は外してないようで少し安堵した。
 余談だが、「折り紙的」という言葉を多用するのは危ないとは思いつつも、確かに存在するモヤモヤしたソレを表現するのに便利だったりするのでつい使ってしまう。で、分かりにくいにも関わらず伝わってしまったりして、でもそれはそれで良かったなとは思う。けどやっぱり反省もする。
 というのは今はさておいて、北條さんの話をしていたにも関わらず「コーティング」を忘れていたことに気づいた(参照)。他にコーティングで思いつくのはMark Kennedyさんのアクセサリ*1とか、Bill Bankwitzさんの折り紙骨格(参照)とか。
 「ちぎる」もLangさんの「Lion」(参照)を忘れていた。


 後、もうひとつ思いついたことがあって、それは折山さんが挙げた技法には、折り手に選択の余地があるものと無いものがあるなということ。創作者しか選択できない「創作」に関わる部分と、折り手も選択できる「再現」に関わる部分の区別というか。となると、「肯定/否定」感覚の傾向も創作者と非創作者で違っている可能性もあるかもしれない。

 例えば当初の話題であったところの「切り込み」と「接着」に関しても、作者が折る方法と全く同じように折るべしという指示がなされているケースを除外すれば全く同列に見なせない場合が出てくる。というのは、切り込みを使う作品は必ず切らなきゃいけないけど、「接着」はしなくてすませる(ホイル紙とかウェットするとか)ことができるから。
 ‥‥とは言えこの違いが「肯定/否定」の認識に影響しているかとなると、それはかなりアヤシイと思うが、まあせっかく思いついたので書いてみた。

 あと、以上の話は再現を前提にしているため1点もの的な作品ではあてはまらないので、そういう作品はまた別に考えたほうがいいかもしれない。

*1:良い画像見つからず