立石さんへのレス

 立石さんが日記で早速レスを下さいました

少なくとも、普通に折った時の折鶴は、下は向いてないわなぁ...。その意味では、「見立て」てないのかなぁ...。松原先生が、「本来は、美しく見せるためには、首と「尻尾」の下縁を羽の縁に合う様に中割り折りして、くちばしは、羽の縁から下の縁を水平になるように出す」んだ、って言ってたけど、これだと、下は向きようがありません。本当に下を向くように、折鶴を折るには、首を途中で中割り折りして、頭とくちばしをかぶせ折りしなきゃ無理でしょう。また、尻尾と思われがちなあの足を、本来の方向に向けたら...、鶴は、上を向いてるとしか解釈できない...か。あ、私は「見立て」をしているのだろうか?

 これなんですけど。実はオソロシイ考えがありまして‥‥オソロシイので「いやいや、そんなはずはないだろう」とその考えを打ち消したんですが。


 それは、あの中割り折りを「くちばし〜頭」の表現ではなく、「首が途中で曲がっている」表現だと思っている人がいるんじゃないかということです(図参照)。でも実はこう考えると、中割り折り無しの鶴を「上を向いている」とする見方にも一貫性が生じてくる。


 ただ、「下を向いている」よりも「俯いている」と表現している人の方が多いような気がしてます。こうなると、本物の鶴が「上/下を向いているってどの状態のことなの?」というちょっと微妙な話になってきます。


 実際問題としては、中割り折りの角度を浅くすれば「明らかに上向き」の鶴も折れるんですよね。でもそういう風に折られていないってことは、「首が上向き・下向き」云々は積極的な理由付けにはなっていないことになるでしょうか。さらにこれは「折らないルールが先にできて、その後、禁忌的な理由付けがされた」という推測を補強するような事実になっているかもしれません。

色は、とやかく言う問題じゃないと思うのですが...。赤は血の色だから千羽鶴には駄目って、単なるそんなこと言ってる人の底辺の偏見差別の露呈に過ぎないんだから、そんなのはどうでもいい。世の中には白と黒しか色の用語が無い言語もある。全面的にそうだということはありえないがある程度のところで人間は言語により認知を縛られるところがある、すべては相対的なもので、それを絶対的価値判断に決め付けないと、人間は何も出来ないところからこういう馬鹿馬鹿しい話は出てくるのだ。大体、「原爆を想像する色」って、そんなのおまえ見たことあんのかよ?

 えっと、「とやかく言う」つもりで触れたわけじゃなくて、単純に興味を引かれたからです。「首」の方もそうですが、価値判断は脇に置いといて、現象のみから考えたいなと思ってます。色にこだわる事は、千羽鶴の呪術的側面が色濃く出ているような感じがしますし、そういう意味では(ぼくにとって)どうでもいいことではないです。
 とは言え、ぼく自身の価値判断はまた別にありますから、その立ち位置では立石さんの仰ることには共感します。


 将来、千羽鶴用の折り紙用紙が、そういう色をあらかじめ抜いて販売されるようになったらとか妄想してみたり。ちなみにぼくが千羽鶴作るとしたら(作った試しないくせに)赤と黒は使いますが、金と銀は使いませんね。色も好きじゃないけど、ホイル(略。

折り紙のfoldは、twofoldというような表現で使われる、「重なり」という意味で、ラテン語にも同語源の語彙あり、羊を囲うとかカルトのfoldは、古英語から来ていますが、それ以前の語源は不明です。後の意味がもし本来の意味なら、folderって、コワい...。

 勉強になります。後の意味に関しては、自分に対しての戒めとして心の片隅に置くようにしてます(えー)。

以上、一方的小松レスでした。

 ありがとうございました。